シュガーソングとビターステップ/UNISON SQUARE GARDEN-(前編)

本当に美しい歌です。歌い出しから。 

超天変地異みたいな狂騒にも慣れて
こんな日常を平和と見間違う
rambling coaster 揺さぶられながら 見失えないものは何だ?

もちろん超天変地異というのは直接的には国内の震災・災害だったり、日々続く事件・事故だったり、ここ数年の偏った言説やコミュニティの存在を含めた息苦しさなんかを指しているのだろうけども、こうしたごくごく一般化された「現在に対する(マイナスな)視点、評価」を敢えて言葉にして発することはあたり前すぎて案外誰も言わず、J-POP、特にたくさんの男女を集客出来る人気のある彼らが言葉として発することで、普通の大人である自分がはっとさせられる体験をする。

現状に対する認識について、常に付いてまわる余計な主義主張を排して、単純化された言葉によって自分自身の視点がまずプレーンな状態に持っていかれます。こうして聴取者に彼らのメッセージを受け取る準備を整えさせ、一行目を再びrambling coasterという言葉で喩えたのち、彼らの最初の問いかけ。

見失わないもの、ではなく、見失えないものは何だ?としているのが意外でした(歌詞を見てはじめて気づいた)。前者だと現状をただ俯瞰的に見て、第三者的に(やや無責任に)問いかけるような印象になるはず。雑誌やネット上の記事の書き方、意見の述べ方の主流がそちらだと思っているので、若い彼らが「見失えないものは何か」とはっきりとした問いかけを選んだのが新鮮だった。

 

平等性原理主義の概念にのまれて 心までがまるでエトセトラ
大嫌い 大好き ちゃんと喋らなきゃ 人形とさして変わらないし

平等性原理主義というのはもちろん造語で、多分一行目全体の意味としても、「なんでも平等じゃなきゃいけないって風潮のせいで、心が常に外側を向いてる(対象に向き合わない)よね」ぐらいのもの。二行目もそれを暗喩的にくり返して、曲中での彼らのスタンスの明示を補助しているだけ。

ただしここ、実際に曲を聴いているととても語感が気持ち良くて、文字に起こした言葉づら以上に、聴取者の気分を盛り上げます。

 

宵町を行く人だかりは 嬉しそうだったり 寂しそうだったり
コントラストが 五線譜を飛び回り 歌とリズムになる

一行目までは前段の続きで、現在を生きる人は色々だよねと。

そして二行目。「色々」の各々の対極にいる「嬉しい人」と「寂しい人」を、コントラストという言葉で一点に呼び込んで、一気に彼らが俯瞰的な立ち位置に移動。

この時点では歌とリズムというのが彼ら自身のそれを指しているのか、実社会を比喩として表現したものなのかは分からないものの、前段までのどちらかというと「現状」それ自体へのネガティブな感想から、「現状」で生きている一人一人の「人」に視点を移したことで、歌い出しにあった超天変地異とか狂騒という、言ってみれば最悪な状況にある社会を、人と人との問題として捉え直す。

そしてポジティブな言葉の選択。社会が、結局は人がどう考えどういう顔をして生きているかということであるなら、歌とリズムという、少なくとも絶望するようなものではないと、印象を変化させることが出来る。五線譜を飛び回っているのなら、彼らの近くにあるということだから、彼ら自身にとっても嫌なものではない。曲調やボーカルの優しい声から、最初から陰鬱としたムードはないものの、言葉としてもより肯定感が強まったところで一回目のサビへ。

 

ママレード&シュガーソング ピーナッツ&ビターステップ
甘くて苦くて目が回りそうです
南南西を目指して パーティを続けよう
正解中を驚かせてしまう夜になる I feel 上々 連鎖になってリフレクト

 

(前編おわり)